長良川のように清らかに……親鸞会・岐阜県
岐阜の浄土真宗と言えば、よく知られているのは「三業惑乱」の時、三業帰命説の正邪を、本願寺に問いただそうと決起した大垣門徒です。
それほど、岐阜は純粋に親鸞聖人の教えを求めようとする門徒の多い地域でありました。
浄土真宗親鸞会でも、岐阜県内での活動の歴史は古く、特に昭和53年に岐阜市内に会館が建立されるほど、多くの親鸞学徒が誕生したいきさつがあります。
今年、平成20年は、その親鸞会岐阜会館が建立されてから、ちょうど30年だそうです。
今までも、そしてこれからも、一人一人の胸に本当の親鸞聖人の教えを伝えていく岐阜の親鸞会会員のみなさん……その活動の様子が分かるサイトが「浄土真宗親鸞会 岐阜県」です。
清流長良川からサイト名を拝借していますが、岐阜を4つ(飛騨高山を入れれば5つ)に分けて、各地の親鸞会の法話案内と名所紹介がされています。
親鸞会の歴史……それは高森顕徹先生の歩み
50年以上も前、太平洋戦争で疲弊した人々の前で、果敢に辻説法を行ない、親鸞聖人の教え一つ明らかにしてこられたのが、高森顕徹先生です。
浄土真宗親鸞会の歴史は、そのまま高森顕徹先生の布教の歴史とも言えます。
龍谷大学在学中の時から、京都の西本願寺前や円山公園、果ては京都駅のホームや列車の中まで、説法活動を行なった高森顕徹先生。
今からは想像もできませんが、そこには大変なご苦労があったに違いありません。
その辻説法から、浄土真宗の本当の教えに気づいた各地の門徒が招待し、滋賀や富山での寺院や家庭での法話が始まりました。
冷房も暖房も満足に無い時代、朝昼晩のぶっ続けで法話を開催されたと聞けば、説く方も聞く人も、よほど真剣であったことでしょう。
そんな高森先生との出会いを振り返り、親鸞会の「黎明期」とも言える時代を当時の会員が語るサイトが「高森顕徹先生と激動の昭和」です。
辻説法での『死線を越えて』の腕章は有名な話ですが、他にも、東本願寺最高の学者であった柏原祐義氏の非難に対する鮮やかな反論劇、一人一人に仏縁を念じられた胸が熱くなる体験記など、昭和の時代ならではの思い出話が沢山つまっています。
人口集中の首都で親鸞聖人の教えを伝える親鸞会
「新東京銀行」問題で首都が揺れています。
しかし、揺れているのはお金の問題だけではありません。
人口が集中して殺伐としている首都圏で、失いがちな「人生の意義」。如何に親鸞聖人の教えられた「生きる目的」を伝えていくのか、大きな課題です。
西本願寺などは、「新たに100万門徒の獲得」という巨大な目標を掲げて、首都開教に動いています。
その先駆けとなったと言えるのが、かの「東京ボーズコレクション」であったり「カフェド親鸞」であったり。
特に今年に入って、大谷光真門首の息子で後継者である新門を築地本願寺に置くなど、一見精力的な動きを見せてはいますが、果たして「教えを聞き求める人」がどれだけ現れるのか……そもそも「新門徒」の定義がハッキリしないので、その動きも曖昧さが見え隠れします。
さて、そんな東京でも、親鸞会は各地で積極的に法話や講演会を開催し、人から人へ、胸から胸へ、親鸞聖人の教えをお届けする活動を展開しています。
ネット上では「浄土真宗親鸞会 東京都」を「shinrankai.com」の独自ドメインで運用する力の入れようです。
東京都内各地での法話の日程を案内するだけではなく、コラムのページを設けて積極的に社会問題にも切り込んでいます。
また、法話の様子も分かるように、ブログも運用されており、なごやかな雰囲気が分かるようになっているのが、とてもいいですね。
東京で繰り広げられる親鸞会の動きに、今後も目が離せませんね。
「親鸞会 会員の声」……遇法の喜びと寺への悲しみ
東西本願寺が親鸞聖人の教えを正しく説いておれば、親鸞会は存在しなかっただろう、と言われます。
昭和20年代、敗戦の混乱が冷めぬ時から、高森顕徹先生が辻説法など地道な布教活動を展開してこられました。
「死んだらお助け」「念仏さえ称えていれば極楽」と聞かされ、疑問を持っていた真宗門徒たちが、その高森先生の説法に目覚め、各地へ招待されたことが、更なる拡大に繋がり、浄土真宗親鸞会の結成に至りました。
以来50年。
親鸞聖人の本当の教えを明らかにする、というたった一つの目的は全く変わることなく、今日でも親鸞会の活動は続けられています。
「親鸞会で初めて正信偈の意味が分かった」
「こんな分かりやすい話は、続けて聞きたい」
「寺では世間話ばかりで、肝心の教えが説かれない。親鸞会は違う」
などなど、このような、親鸞会のご法話に参詣された方の声は法話会場に溢れています。
それらを集めたものが「親鸞会 会員の声」としてまとめられています。
本当の親鸞聖人の教えを知りたくて真宗寺院を訪れても教えてもらえず、どれだけ悔しい思いをされた方があったことでしょうか。
親鸞会には、実際にそのような辛い経験を持った方が実に多くおられます。
ここでは、本願寺の現状に苦しまれ、親鸞会に出会って本当の人生の喜びを手にされた方々の体験談を掲載しています。もちろん、すべて実話です。
最近は「親鸞会 批判の真実 〜会員の声〜」としてブログで掲載されるようになりましたが、どの声を読んでみても、浄土真宗の悲しむべき現状と、浄土真宗親鸞会は極めて重要な存在であるかが知らされますね。
観光仏教の奈良で、親鸞聖人の教えを真摯に学ぶ
平城京遷都1300年でにぎやかな奈良県ですが、独特のマスコットが物議をかもしてネット上では更に話題に……。
とはいえ、「奈良」と言えば「お寺」、「お寺」と言えば「仏教」です。
日本に仏教が伝来したのは六世紀半ばのこと。聖徳太子によって仏教はあつく保護され、奈良を拠点に、急速に全国へ広まりました。法隆寺、東大寺などの大寺院が次々に建立された仏教都市でもあった訳です。
親鸞聖人は聖徳太子のことを「和国の教主」と呼んで大変尊敬されたことは有名です。
ところが、数数の歴史の舞台とはなっても、聖道門仏教の域を出ることはなかったと言えましょう。今日にいたっては、観光客相手の業者が僧衣をまとっているにすぎないという批判もあります。
そんな奈良で、浄土真宗の教えを聞き求める親鸞会 会員のサイトが「親鸞会 古都奈良の響き」です。
聖徳太子と親鸞聖人の関係について解説されたページなど、奈良ならではの話題が盛りだくさんです。
「50周年」をよく目にする今年……親鸞会も結成50周年だった
平成20年(2008)年の今年、50周年を迎えるものが数多くあります。
最近のニュースをひろってみると、全国各地で「市制50周年」の自治体が存在します。
また、関門トンネルが開通50周年の記念式典を開いていますし、少年マガジンと少年サンデーは共に50周年を記念して共同でマンガ雑誌を発行するとか。
他にも、日清チキンラーメンや炭酸飲料の「ファンタ」も50周年なのだとか。
今から50年前となると、昭和33年(1958)。Wikipediaを見ると、長島茂治のデビューや、東京タワーの竣工などなど……意外な人も、今年で50歳のようです。
さて、浄土真宗親鸞会も、今年で結成50周年を迎えます。
もちろん、記念大会も開催されるのですが、さっそく親鸞会公式サイト上では、50周年企画が始まっていました。
親鸞会結成50周年のページ
ネット企画の第一弾として、「親鸞会結成50年の軌跡」として、今までの50年の歴史を振り返るコーナーが公開されています。
「親鸞会が結成された目的は、人類の光である親鸞聖人のみ教えを、絶対正確に、最も迅速に、一人でも多くの人に徹底する、これ以外になかったのです。今後も親鸞会が存続する限りこれは変わりません。また、絶対変えてはなりません」(親鸞会結成40周年記念大会での高森顕徹先生の講演より)
親鸞聖人の教えを聞き、一人でも多くの方に伝える、その目的一つで半世紀もの間、活動し続けてきた浄土真宗親鸞会。
50周年の今年、さてどんなニュースが飛び出すでしょうか。
実に楽しみです。
このブログでも、紹介して行きたいと思っています。
安芸門徒が集う「浄土真宗親鸞会 広島県」
広島と言えば、『安芸門徒』と言われるほど浄土真宗の盛んな土徳の地です。
既に蓮如上人の時代に、親鸞聖人の教えは広まり、かの「石山戦争」では、真宗門徒がたてこもる石山本願寺に大量の物資を送り込んだことでも有名です。
また、江戸時代の「三業惑乱」で活躍した大瀛も安芸の人でした。
ところが最近では「空き門徒ではないか」と、各地で信仰心が薄れていることを危惧する本願寺関係者の声もあります。
実に残念なことです。
その広島県で、最初に高森顕徹先生のご法話が開催されたのは、昭和54年9月のことでした。
以来「寺では教えを聞かせてもらえない」「親鸞聖人の教えを学びたい」と、親鸞会の法話には参詣者が多数続出しています。
そんな広島県の活動を伝えるサイトが「浄土真宗親鸞会 広島県」です。
広島県内各地の法話日程、参詣者の声、また正信偈について簡単な解説がなされています。
何よりも、オリジナルマスコット「もみじのもんちゃん」が迎えてくれます。
「もんちゃん」……聞法の「聞ちゃん」?でしょうか。