親鸞会の歴史……それは高森顕徹先生の歩み

 50年以上も前、太平洋戦争で疲弊した人々の前で、果敢に辻説法を行ない、親鸞聖人の教え一つ明らかにしてこられたのが、高森顕徹先生です。
 浄土真宗親鸞会の歴史は、そのまま高森顕徹先生の布教の歴史とも言えます。

 龍谷大学在学中の時から、京都の西本願寺前や円山公園、果ては京都駅のホームや列車の中まで、説法活動を行なった高森顕徹先生。
今からは想像もできませんが、そこには大変なご苦労があったに違いありません。

 その辻説法から、浄土真宗の本当の教えに気づいた各地の門徒が招待し、滋賀や富山での寺院や家庭での法話が始まりました。
冷房も暖房も満足に無い時代、朝昼晩のぶっ続けで法話を開催されたと聞けば、説く方も聞く人も、よほど真剣であったことでしょう。

 そんな高森先生との出会いを振り返り、親鸞会の「黎明期」とも言える時代を当時の会員が語るサイトが「高森顕徹先生と激動の昭和」です。
 辻説法での『死線を越えて』の腕章は有名な話ですが、他にも、東本願寺最高の学者であった柏原祐義氏の非難に対する鮮やかな反論劇、一人一人に仏縁を念じられた胸が熱くなる体験記など、昭和の時代ならではの思い出話が沢山つまっています。